論ずろんず

21世紀思想界の刺客

楽しいだけの人生で良いのか、という問い

快を求め不快を避けることを「楽しいだけの人生」と定義づけるならば、

全ての人間は「楽しいだけの人生」を送っていると言える。

何が快で何が不快かは人によって違うが、

全ての人間が快を求め不快を避けているのは明白である。

では問おう。

楽しいだけの人生で良いのか、と。

快を求め不快を避ける人生は本当に正解なのか、と。

むしろ、逆に、不快を求め快を避けるのが正解なのではないか、と。

人間が考える正解の人生と、絶対的に真な正解の人生にはズレがないか、と。

例えば、だ。

残念ながら例えはない。

私は「ただ人生を送るだけ、ただ毎日楽しく過ごすだけ」の現代人に一石を投じたかったのだ。

脚注

本文は人間が上位者(宇宙クリエイター)の奴隷だった場合、「楽しいだけの人生」では脱却できないことを危惧している。

というのもその場合の「楽しいだけの人生」は「上位者にとっての都合のいい人生」であって、「人間にとっての都合のいい人生」ではないからである。