格差は尊い、しかし勝負は先天的に決まりすぎている。
格差があるから人生は面白い。
決闘者(ファイター)の能力はそろえても良いが、
勝負の結果はそろえてはならない。
というのも、たとえファイターの能力が全員同じだったとしても、勝負の結果は毎回変わるからだ。
人間の出せる力には偶然性があり、同じ能力の人が何回か闘うと、毎回引き分けになるのではなく、勝ったり負けたりを繰り返す。
これは、おもしろい。だから全員の能力をそろえても問題はない。
一方、勝負の結果をそろえたらどうなるだろうか。
頑張って体を絞ってもみんなと同じくらいしかモテないし、頑張って働いてもみんな同じ所得。住む家も同じ、ご飯も同じ。
これは、おもしろくない。
だから勝負の結果はそろえてはならない。
でも
勝負の結果は各人の能力で決まり、各人の能力は生まれもった先天的な力で大半が決まるのだから、
生まれる前から勝負の結果は決まっているではないか。
その通りだ。
これでは始めから低い能力で生まれた人はおもしろくない。
だから、ファイターの能力が均一になるように、社会全体で育成してやることが必要なのではないだろうか。
少なくとも、全員が何か1つは誇れることがあるくらいには。
天から「二物を与えない」という働きかけがあるように、
人間の社会システムからも「とりあえず一物を伸ばす」という働きかけがあっていいはずだ。